気仙沼から帰って。 [気になったこと]
8/14~17に気仙沼に行ってきた。
気仙沼は母方の実家があり、オレの戸籍には気仙沼生まれと記されている。
住んでいた期間は短いが、何度となく訪れ、少なからぬ想い出のある場所でもある。
3/11の震災では、幸いにも親類や家屋は無事であった。
一刻も早く気仙沼に向かいたい気持ちではあったが、無事がわかった以上、
物見遊山も同然の訪問でインフラに負荷をかけるのも気が引けたので今の時期になった。
「言葉もない」という心境を初めて体験したような気がする。
呼吸を忘れてしまったような感覚。
それでいて重く沈むような潮の香りが体内を巡るのはよくわかった。
人の死、数多くの人の死という表層に考えが及ぶこともない。
誰かの死を悼むという理性的行為も遠い彼方。
津波により全てが押し流された地に立ったとき、
人知の及ばぬ力にただ恐れおののき、ほうけていた。
…
陸前高田にも足を伸ばした。
以下、陸前高田。
…
気仙沼は比較的面積が広いので、
町が消えてしまったと表現してもいい被害を受けた陸前高田に比べると、
無事だった場所の方が多い。
コンビニの品揃えは元通りのようだし、
魚料理の店では美味しい飯にありつけた。
むろん、気仙沼港で揚げられた魚ではなかったが。
それでも、町の各所に点在する仮設住宅と避難所ではシャッターを押せなかった。
教員である叔母に連れられて、学校校庭に作られた仮設住宅、
そして今なお避難者が住まう体育館にやって来たのだが、
下唇を噛みしめて頭を垂れるしかなかった。
…
日本人は古来から地震や津波、噴火にさらされて生きてきた。
そうやって無意識下に刻みつけられた傷から、じわりと血が滲むような旅だった。
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